話し合いを避けてはいけない

「2025年問題」という言葉をよく耳にする。
約800万人と言われる団塊世代(1947~49年生まれ)が、後期高齢者(75歳以上)を迎えるのが2025年だ。4人に1人は75歳以上という超高齢化社会が現実のものとなる。これまで国を支えてきた団塊世代が、社会保障の給付を受ける側に回るため、医療、介護、福祉サービスなどの社会保障費の急増が懸念される問題のことだ。

国や地方では医療と福祉に関わる法や制度の整備が既に始まっているが、抜本的な解決に至ってはいないのが現状だ。厚生労働省が進める「地域包括ケアシステム」では高齢者の自立生活の支援の目的のもとで、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができる社会の実現を目指している。自立生活というところがこのシステムの肝であり、理想は「ぴんぴん長生き、ころっと往生」だろう。
しかし、いわゆる「ぴんころ」を望む人は実に多いが、全ての人がそうなるとは限らない。そこで関心が寄せられるのが在宅医療や在宅ケアといった分野だ。今後多くの家庭にとって在宅医療やケアはますます身近な問題となるはずで、来るべき超高齢化社会を前に高齢者と家族はどう対応すべきか、介護従事者のみならず一般家庭でも重要な問題になってくる。

在宅での医療やケアを考えた場合、家族、とりわけ子の支えが大事になるように思うが、当の団塊世代はそうは思っていないようだ。内閣府の調べで「要介護となった場合に希望する介護者」の問いでは、「配偶者」との答えが約40%に対し「子」はたったの9.4%なのだ。これは、子に迷惑をかけたくない、自分が大変だと感じていることを子にさせたくないという理由が多くを占める。その理由からは「ヘルパーや看護師等」との答えが配偶者に次いで約34%と多いのもうなづける。

団塊世代はその子に介護者としての期待はしていないとはいえ、自分の老後の生活についての考えを子に話すくらいのことはしてもよさそうだが、そういった機会があったとはあまり聞かない。それは、当の団塊世代は70歳手前で、健康寿命が70歳を超える現在、多くの人はまだまだ元気であるということ。元気であるが故、自分から老後の生活についての話題を子にするのもどうかと思うだろうし、子にあたる団塊ジュニア世代からすると、そんな元気な親を見て、差し迫った現実感のない、リアリティもない、何よりもそんなこと考えたくもないという性質の問題であるのかもしれない。
片や、一昔前までは老後のことを敢えて話題にすることもなかったのではないだろうか。一つ屋根の下で3~4世代が同居し、隠居といった世代交代の節目になる行事を経験しながら、自然と親の老後は子が看るものという文化が成り立っていたし、また、親は事あるごとに自分の老後のめんどうは長男が看るもんだと言い聞かせてきた家もある。しかし、今では、結婚したら家を出ることが当たり前になり、さらに核家族化が進んだ社会になった。結果、親のめんどうは子が看るのが当たり前という考えや文化が薄れてしまった。そのことの良し悪しは別にして、核家族化は、自分の老後は自分でという自立生活を基にしないと成り立たない社会をつくったのではないだろうか。

また、その昔なら親の団塊世代のめんどうを看る側の団塊ジュニア世代側にも不安がある。社会人の扉を開けた時にはバブル崩壊後の就職氷河期。その後も失われた20年と表現される不況期。非正規社員も多い。女性の社会進出が進むと同時に、収入と仕事のことで晩婚化と夫婦共働き世帯が増えた世代だ。そして、結婚生活は親と別居しているから、いざ親のめんどうを看ることとなれば、生活が大きく変わる不安からパートナーの反応は好意的ではない。そのような状況から、親を支えられるだけの生活力や経済力を持っている団塊ジュニア世代は少ないと考えられるのだ。

となると、もし介護が必要になった場合は、子に頼るよりも医療や介護のサービスに頼る方が現実的だ。それを意図したかどうかは分からないが、前述の子に頼らないという団塊世代の選択は正しく思える。であれば、今求められるべきは、自立した生活が出来なくなることを考えるよりも、自分個人や夫婦として自立した生活をどれだけ続けられるか、いかに「ぴんころ」という理想に近づくか。を考えることであり、そのための行動をとることだろう。

「ぴんころ」特に「ぴんぴん長生き」は、いかにイキイキと老後の生活を送るか。ということが大事に思える。趣味を楽しんだり、人との繋がりや地域の活動を通して人の役に立ったり、何かに夢中になるものがある人は、生活にハリがあるしイキイキと見える。ハリ、いわゆる生きがいを持つためには、現在の生活でそのような夢中になれるものがあれば尚良し。場合によっては、住まいやコミュニティを含む生活環境を見直し、現在の延長線上に拘らず変化をさせることも大事になるかもしれない。
そして、親は子とそのような老後の生活についての考えを話し合うことが大事だと感じる。それがお互いの不安を解消させるだろうし、より前向きになれるだろう。子にしてみれば、親がイキイキとしようとしていることは大歓迎なのだから。

そんな前向きな話の中であれば、自立できなくなった時のことや、もしもの時の延命治療方針、葬式やお墓といった元気な時に縁起が悪いと、口に出しにくい死にまつわる話も、穏やかに面と向かって話ができるのではないだろうか。

親は、元気で自立した生活ができている時だからこそ子と、老後の生活とその方針について話し合い、子は親との話し合いを通して、いかに応援できるかを考える必要があるのではないだろうか。「ぴんころ」に近づくために。