日本の高齢者対策について考える

日本の社会は何時からこの様な過保護で甘えの社会になってしまったのであろうか。
元々、日本の社会は共同生活の中で共助の精神を持っていたが、それはあくまでも共同社会の中で各々の役割を果たした上での事であり、権利と共に義務を負っていた。
戦後の社会の中で弱者救済という言葉が金科玉条の如く使われているが、そもそも弱者とはどの様な人なのか、弱者だと思えばどの様な人に対しても赤子の様に何もかも手取り足取り面倒を看る事が弱者救済なのか。
日本の医療保険制度、介護保険制度は世界に誇るべき制度であり、生活保護制度を含めて日本の社会のセーフティーネットとなっている事を否定するものでは無い。
しかしながら、これらの制度は私達の税金で支えられているものであるということを忘れてはならない。
皆さんは一度は「蟻とキリギリス」の童話を耳にしたことがあると思います。
私も幼い頃にこの童話を聞かされ、夏の暑いときに一生懸命に働き、寒い冬に備えて食料を蓄えておかないと、厳しい冬に耐えられず死んでしまうから、真面目に働いてきちんと蓄えをしないと惨めな最後を迎えることになるよと教えられました。
少なくとも、因果応報、自業自得という考え方は社会全体の中にあったし、人様の世話になることは恥ずかしいことであると感じる文化もあったはずです。
勿論、社会保障としての医療・福祉政策は絶対に必要なものではありますが、どの様な生き方をしてきても、最後に困った時には社会制度により全て支援をして貰えると思わせ、そのことが出来ない時は社会制度が悪いと言う論調には強い違和感を感じます。
先日放送されていた「NHKスペシャル、老人漂流社会」を見ていて違和感を感じたのは一人私だけだったのであろうか。
一つ目の違和感は、取材された高齢者が如何にも不幸であるかの様に描かれていたが、果たしてそうであるのかということです。
この高齢者はショートステイを転々と移動していたとはいうものの、受け入れはされていたし、最終的には生活保護も受給し、老人ホームで住まいも確保されています。
結果的には社会制度の中で保護されているわけであり、私は日本の社会制度は此処まで親切に面倒を看てくれるのだと感じました。
それより、この人はそれまでどの様な人生を送り、どの様な生活をしてきたのかという背景の方が気になりました。
二つ目の違和感は、老人ホームに入所した時に延命処置について尋ねられた際の「命のある限り生きたい」というやりとりです。
どの様な違和感であったかというと、ソーシャルワーカーの問いかけ方にありました。
延命処置とはどういうものかの説明も無く、単に万一の時どうするか尋ねるだけで高齢者の死に様を決めさせることがまかりとおっている事に驚きと怖さを感じました。
更に、先日麻生副総理が延命処置について個人的に否定的な談話を発表したところ、マスコミが人の命の尊厳を表に出して様々な批判をした結果、麻生氏がその談話を取り下げた旨の報道がありました。
しかしながら、高齢で将来回復の見込みも無く、意識も無い状態で、単に機器により生存の機能を保っているだけの延命処置が望ましいことで、人の命の尊厳を守ることになるのであろうか。
近年、中村仁一、石飛幸三医師らによる尊厳死、平穏死についての著書の出版により、社会的にも議論がなされる様になってきましたが、私見ではありますがマスコミの論調を見ますと「人の命の尊厳」についてまだまだ深く捉えていないと感じます。
少なくても、私は麻生氏の考え方に同調しますし、高度医療であり高額な医療保険負担を要する延命処置のあり方について「人の尊厳、命の尊厳とはなにか」という事を含めての議論を深めていく必要があると考える。
今後、益々進行する高齢化社会の今後を考えると、このままだと財政負担が過大となり、介護・医療保険制度の崩壊の恐れさえあります。
介護・医療制度がどうあるべきかについては色々な意見があると思いますが、議論の材料として、あえて幾つかの提議をさせていただきます。
 ・現在、病院・診療所の待合は高齢者の社交場のような状況となっておりますが、この様な状況が医療機関のあるべき姿であるとは思えません。原因の一つは高齢者の医療費  の自己負担割合の低さであると考えます。高齢者の医療費の自己負担額を引き上げ、過度な受診を抑制し、同時に本当に医療が必要で経済的に困窮している方についての対   応策を考えるべきではないでしょうか。
 ・終末医療についてマスコミの論調は家族の情緒的なものを表に出し、最後の最後迄どの様な方法によっても生き永らえさせて欲しいという心情を水戸黄門の印籠の様に打ち    出すが、本来、死はあくまでも本人の問題であり、最後迄意識も無いまま苦しみながら生かされることがその人の尊厳と命を保つことになるのであろうか。 死ぬ自由も個   人の選択に委ねるべきと考えるが、同時に、どの様な場合にどの様な範囲で終末医療を施すのかについての議論と基準の制定が必要な時期に来ていると考えます。
 ・現在、特別養護老人ホームは個室ユニットケアが主体となっております。勿論、入所者の尊厳を守る為には個室が必要であることは否定しません。ただ、特別養護老人ホー    ムの経営は補助金により支えられていることも忘れてはならないことです。全ての人を個室でケアすることが本当に正しいことなのでしょうか。例えば、寝たきりでベッド    から動くことも出来ない人については介護従事者の労力を考えて四人居室で介護する等の選択もあるのではないでしょうか。現状、特別養護老人ホームには生活保護受給者    も相当数入所しております。生活保護支給額の減額議論がなされている中で低額で入所出来る居室も併せて設置することも検討されるべきではないでしょうか。
 ・今、特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅は慢性的な人手不足の状況にあります。夜勤も含めた不規則な勤務体制、汚い仕事、安い給与等の非常   に厳しい状況の中で一生懸命頑張っている介護従事者の方々の努力には頭の下がる思いです。
しかしながら、今後益々増大して行く要介護高齢者に対応して行く為には人材の質と量の確保が絶対的に必要であり、その確保が出来なければ介護保険制度そのものが崩壊してしまう怖れさえあります。介護従事者の質と量の確保の為には、介護従事者の労働環境の改善、特に報酬面での改善が絶対的に必要であり、その為には介護保険支給額の増加と個人負担の引き上げも含めて議論する必要があると考えます。
 いずれにしても、これらの課題を議論するにあたっては「国や制度がいざとなれば何とかしてくれる」という甘えではなく、「権利と義務の認識」「自己責任」「人としてどう人生をいきるべきか」という考え方が底辺にあるべきであると考えます。
議論の基本となるべき考え方についての参考としていただく為に、「老いの工学研究所」としては今後、当研究所としての考え方を提示して行きたいと考えております。
多少、過激な文章になったと思いますが、今後の議論の一助になれば幸いです。