鷹野禎三さん(81歳)

八十歳を過ぎて、なお使命に生きる
鷹野禎三さん(81歳) 埼玉県東秩父村 細川紙技術者協会会長

 滅びかけていた手漉き和紙・細川紙を蘇らせた職人がいる。紙づくり歴60年以上に及ぶ鷹野さんだ。御年81歳。埼玉県小川町・東秩父村に伝わる細川紙は楮(こうぞ)の皮を原料とした丈夫な手漉き和紙。もともと奈良時代から紙すきが行われていた武州小川に、紀州高野山のふもとにある細川村(現在の高野町)で漉かれていた細川奉書の技術が江戸時代に伝わりその名前の由来となった。
江戸時代には公文書や経典、帳簿などの記録用紙として重宝され、辺り一帯は和紙の一大産地として栄えたそうだ。国内産の楮から伝統の手漉きでつくられた和紙だけが「細川紙」と名乗ることを許されるが、出来上がるまでにおそろしく手間のかかる工程が必要だ。

1)冬の間に楮を刈り、切り揃える
2)釜で蒸し、1日寝かせる。アクを抜いたら皮を剥く
3)天日で乾燥後、丸2日天然水にさらし、繊維をほぐす
4)水の中で不純物を丁寧に取り除く
5)トロロアオイの粘りを混ぜ合わせ漉槽(すきふね)と呼ばれる桶に流し入れる
6)「水を汲んでは流し」を繰り返し、均等な厚さにしながら漉きあげる
7)漉いた紙を積み重ねて脱水した後、さらに搾り機で水を搾る
8)一枚づつ松板に張り付け天日で干す

 最も難しいのは 6)の工程で、厚さが少しでもばらついてしまうと使い物にならないが、職人歴60年以上の鷹野さんの手にかかれば見事に薄く平らに広がっていく。一人前の手漉き職人になるには最低でも15年の修行が必要という。この作業、ただ縦方向に漉いているように見えるが実際は縦方向と横方向の波を同時に発生させ、繊維を複雑に絡み合わせているのだ。和紙が薄くて軽いにも関わらず、強靭で高い耐水性を持つ秘密がここにある。洋紙が100年程度で劣化するのに対し、最高級の手漉き和紙は1000年以上も持ち、後世に歴史を伝える役目を果たしてきた。

 戦後、後継者不足に加えて生活様式の洋風化(住宅や洋傘など)で需要が急激に減少し和紙の手漉き産業は壊滅的な打撃を受けた。さらに時代の趨勢で和紙づくりも機械漉きが主流となり、鷹野さんの工房も機械漉きに移行した。このままでは細川紙の手漉き技術は廃れる運命にあったが鷹野さんが30歳の頃、転機が訪れた。それは工房を取材に訪れた米国人が放ったこんな一言だった。「こんな素晴らしい技術を捨てるなんて、馬鹿じゃないのか」。ハッと目が覚めた鷹野さんは手漉きの復活を決意。手漉き技術を保存するために手漉き職人からなる「細川紙技術者協会」を立ち上げた。

 地道に手漉き和紙の宣伝・普及につとめたことが報われ、鷹野さんが50歳の頃、細川紙が国の重要無形文化財に認定されるに至った。さらに細川紙の技術の伝承・後継者の育成そして地域の活性化を図るため、手漉きの和紙の見学と紙漉き体験が出来る「東秩父村和紙の里」の設立にも尽力した。それから30年、全国におよそ100種類ある和紙の中で細川紙が石州半紙、本美濃紙とともに「和紙:日本の手漉き和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。世代を超えて伝統的な技が受け継がれ、地域社会のつながりを生んでいることが評価された。鷹野さんたちの努力が世界に認められたのだ。

 鷹野さんたちの手によって復活を遂げた細川紙だが、後継者不足は深刻だ。地元の漉き家も3軒になってしまい「もう風前の灯火です」と語る鷹野さんだが、決して手漉き技術の継承をあきらめたわけではない。手漉き和紙は機械漉き和紙にくらべ格段に丈夫でシミなどにも強く、また手漉きの柔らかい仕上がりは機械漉きでは望むべくもない。そんな手漉きの和紙の素晴らしさを地元の子供達に感じてもらおうと体験授業を一昨年から実施し始めた。

 細川紙はその品質の良さから世界中から愛され、国内の古文書・文化財はおろか、海外の美術館の収蔵品の修復にも欠かせない。鷹野さんの工房も宮内省や国立博物館に手漉き和紙を納めているそうだ。
 手漉き和紙を蘇らせただけでなく、その技を次の世代に伝えることに人生を捧げてきた鷹野さんにとって和紙づくりは単なるビジネスではなく、使命なのではないだろうか。鷹野さんにその原動力を聞くとこんな答えが返ってきた。「ただ細川紙が、ずっと永遠に続いて欲しいからだけなんです」。控えめで穏やかな人柄だが、80歳を過ぎてなお使命を持ち続けるその生きざまは人を強く惹きつける。

取材撮影:小山一芳
構成・文:代田耕一