阿部倉吉さん

自分たちでやろう!責任は俺が取る。

阿部倉吉さん 南三陸町 漁師

阿部さんに出会ったのは震災から1ヶ月ほど経ったころです。南三陸町馬場中山集落の高台にある公民館に地域の住民がまとまって避難していると聞き、訪れた時に見かけたのが陣頭指揮をとっていた阿部さんでした。
阿部さんは疲労困憊していて点滴をうっている状態にも関わらず、人なつっこい笑顔で私に色々な話をしてくれ、撮影にも応じてくれました。
馬場中山地区は海に面した漁村で100世帯、約400人が住む集落だった。震災直後に道路が寸断され孤立してしまったので地域住民がまとまってここに避難した。しかし、陸の孤島には支援物資は届かなかった。阿部さんは「行政の支援を待っていたのでは、飢え死にしてしまう。自分達の力で何とかしなければ・・」と決心し、避難所の取りまとめ役をかってでたとのこと。
阿部さん自身も震災で自宅はもちろん、船も流され、お姉さんも失ってしまい、苦しんでいる中での申し出です。
行政は避難所には食糧や支援物資を手配するが、自宅避難者には一切回ってこない。仕方なく自分達で寸断された道路を切り開き、たった一台残った車で、食糧を町の体育館まで取りにいき、そして「仮設住宅の準備も、何とか自分達でしよう。トイレもお風呂も自分達で作ろう」と立ち上がったそうです。
阿部さんはよそ者を嫌わず開放的なので周囲には自然と人が集まってきます。取材撮影も基本OKなので影響力が強くなっていきました。
復興はさっさとやらなきゃいけない良い例としてNHKが「被災集落 どっこい生きる」という番組を制作し、国会でも「行政が停滞しているのに現場はがんばっている」と阿部さんが復興のシンボルとして取り上げられました。

私が顔を見せると阿部さんが喜ぶのでその後3〜40回は避難所を訪れました。
彼は、とにかく行動が早い。ウニやアワビを上手にとる漁師だから勘がいいのでしょうか、誰よりも早く現場へ行き、誰よりも的確に動きます。
一刻を争う有時には強力な指導力を発揮し、優先順位をすみやかにつけ、危機が去った平時には避難所の皆に平等に配慮するなど、状況に応じて打つ手を変える彼の危機管理は見習うことが多いのです。
何よりも「自分たちのことは自分たちでやる」という精神こそが集落のみんなを危機から救い、復興へ向けて団結させるエネルギーの源なんだなあと強く感じます。
そのリーダーたる阿部さんの面構えには、「責任は俺が取る」そんな覚悟がみなぎっていました。