今川一芳さん(73歳)


今川一芳さん /福島県郡山市。昭和17年3月7日生。73 歳
職人歴58 年

「決して途絶えさせない」

今川さんは畳の芯である「畳床」を藁から手縫いでつくる、ただ一人の職人である。その最高峰の技術と若手職人の指導育成の功績で「現代の名工」に選ばれ、さらに長きにわたり他の模範となったことが認められ「黄綬褒章」を受賞した。

手縫いの畳床(手床と呼ばれる)は、乾燥させた40cm くらいの稲藁の束を手と足と体を使って強く圧縮して1000 針ほど縫い止め、厚さ5cm 程度に締め上げてつくる。米作りの副産物として生じるので日本の風土・暮らしにかない、適度な弾力性、高い保温性、室内調湿作用や空気浄化作用をもち、リサイクルや焼却処理など環境にも優しい。が、高度な技術と体力が要求される手床は20年程前に姿を消したのだ。畳の需要が往時の6 分の1 にまで減少した上、ワラをまったく使わずに、木材のチップを圧縮成形したタタミボードやポリスチレンフォームなどで構成された建材畳床、または化学床が主流となってしまったのだ。

しかし踏み心地や通気性では藁床に及ばず、また工業製品のためリサイクルに課題がある。なによりも手床に比べると耐用年数に劣るのだ。ある歴史的建造物の大改修で機械式の畳が使われたことに強い憤りを感じたことがきっかけとなり手床を復活させようと決意したという。今川さんによれば文化財級建築物に敷かれている畳の手床は「私などは足元にも及ばない神業のような技術で作られている」そうで、「決して人目に触れることはないこの技術を自分の時代に途絶えさせては偉大な先人達に申し訳ない」と先代である父親と協力して手床の技術を再現した。10 年の歳月が必要だったという。

中学を卒業し、すぐ家業を継いだ今川さん、父親を思い出しながら語り始める。「きつくて、貧しくて、体が藁くずだらけになるので仕事は好きではなかった」「朝早くからトントンと畳を締める音で目が覚めると、親父が畳に両手をついてハアハアと休んでいる姿をよく見かけた」「職人気質の親父は仕事でお金が入ると酒を飲みにいってしまい、使い果たすまでしばらく帰ってこないから家は恐ろしく貧しかった。お米を買えず学校に弁当も持っていけなかった」「親父を恨んだ時期もあった。酒買うお金があるなら米を買ってくれとね」と笑いながら胸の内を語る。

手床の技術を再現した今川さんは、次の世代に引き継ごうと全国の若手職人の指導もはじめた。石川県の金沢職人大学で講座を持ち、福島では県の職業能力開発に携わるかたわらで、国宝・瑞巌寺(宮城県松島)や重要文化財・護国寺(東京都文京区)などの修復技術も指導した。その矢先、病魔が今川さんを襲った。7年前に青森の恐山へ行った際に「口寄せ」で父の霊を呼んだところ「しきりに体の心配をしている」とイタコに言われた。念のため病院で検査したら「立派な胃癌」が見つかった。半年遅かったら手遅れだったそうだ。ちょうど室生寺(奈良県宇陀市)の茶室の修復途中で畳の採寸まで終わっていたが、中断を余儀なくされた。入院して切除、幸い手術は成功した。有難いことに室生寺は回復するまで7年間も修復を待ってくれていた。今、室生寺につかう手床の畳を拵えている。関西まで納めに行くのを心待ちにしている。

全国で200 人以上を教えてきた今川さん。その中で手床の技術を習得できるのは「鮭が、生まれた川に還る確率くらい難しい」そうだ。しかし「彼らの成長が何よりも楽しみだ」と目を輝かせる。「ちょっとした光でも差してくれさえすれば、ありがたいものです」としみじみつぶやく。金沢とは今でも交流があり、お米を毎年送ってくれるとか。「あれほど、米に泣いたのにね」といたずらっぼく笑う。

今川さんは伝統的な技術を全身全霊で復活させ、そして次世代に引き継いだ。我々は失いつつある手仕事の大切さに、最近ようやく気づきはじめた。その大切さを誰よりも知る年長者には、次の世代に伝えていく役割があるのではないだろうか。
取材撮影:小山一芳
構成・文:代田耕一